土地真理教とオウム真理教
この日本という国では、30歳を過ぎる頃から、ほとんどの人が「家を持ちたい」という不可思議な衝動に駆られます。しかし、この“衝動”に合理的な根拠があるのかどうか、検証されることはめったにありませんでした。
なぜかというと、金融・建設・不動産業など、この国のドメスティックな(土着の)経済を支えている大きな部分が、「家を持て」「一国一城の主になれ」と国民をマインド・コントロールすることによって莫大な利益を得てきたからです。
各種の世論調査を見ると、バブル期に高値で住宅を購入してしまった人たちを除き、おおむね、「持ち家を買ってよかった」という結果 が出ています。それに対して、資産価値の下落や住宅ローン破産の増加などを受けて最近ようやく風向きが変わってきたとはいっても、「生涯賃貸派」はまだまだ少数です。
ところで、家を購入した人が「自分の判断は正しかった」と回答する理由は、簡単な心理学で説明できます。
ふつうのサラリーマンにとって、家を買うということは、年収の4倍から5倍もの借金を背負い、生涯賃金の2割から3割にも達する巨額の商品を購入するということですから、その判断は、まさに一世一代の決断のはずです。
こうした重大な局面においては、支払った代償の大きさが自分の判断を正当化するという、心理の錯覚が生じます。要するに、100円ショップでジャンク品を購入してしまった時には「くだらないものを衝動買いしてしまった」と冷静に判断することができた人でも、それが100万円の商品ならなかなか失敗を認められなくなり、1,000万円の支出なら、なおさら自分の判断を正当化したくなるということです。
こうした人間心理をうまく利用したのが、ひと頃はやった自己開発セミナー(洗脳セミナー)です。
この手のセミナーを受講するには、だいたい50万円から100万円くらいの受講料を支払わなければなりません。ところが、セミナー業界も最近は不景気で、受講料のダンピングが相次ぎ、とうとう7万円とか10万円とかいう水準まで下がってしまいました。すると、同じトレーナー(セミナーの指導者)が、これまでとまったく同じプログラムでセミナーを行なっても、その効果 が半減してしまったのです。
以前と変わったのは受講料の額だけですから、原因ははっきりしています。
まったく同じセミナーをまったく同じ環境で受講しても、100万円の受講料を払った人の方が、10万円しか払わなかった人よりも、はるかに高い満足度を得たわけです(それが「自己開発」なのか、それともたんなる「洗脳」なのかは、ここでは問いません)。
100万円の受講料を払った人は、大きな決断をしてその金額を支払ったわけですから、できるだけもとを取ろうとして、セミナーに対して前向きに取り組みます。100万円を払うという決断を正当化するために、無意識のうちに、セミナーをポジティヴに受け入れる姿勢ができているわけです。
これに対して、10万円しか払っていない人は、半信半疑のままです。もしかしたら、自分はだまされてお金を払わされたのではないかと思っているので、セミナーに対しても、懐疑的な態度を取るようになります。このような人は、セミナーをネガティヴにしか受け入れられないので、「自己開発」の度合い(「洗脳」の度合い)も低くなってしまいます。
バブルの崩壊を受けて、かつてはあれほど隆盛を極めた自己開発セミナーのほとんどが姿を消してしまいました。そのいちばんの理由は、世の中が不景気になって、誰も「自己開発」などというお遊びにつきあっていられなくなったからでしょうが、同時に、受講料のディスカウント競争によってセミナーの効果がなくなってしまったという事情もあるのです。セミナーが受講者たちを「自己開発」しつづけるためには、高い受講料が必須だったのです。
同じことは、オウム真理教やヤマギシ会(コミューン志向の共同農場)などの「カルト」団体についても言えます。
オウム真理教に入信したり、ヤマギシの村に入村する時には、全財産を残らず寄付しなければなりません。オウム事件の際にはこのことが「反社会的」だと非難されていましたが、それは宗教を知らない人の誤解です。
タイやチベットなどの仏教国では、仏僧になるときに全財産を寄進することは当たり前です。キリスト教でも、修道院に入る時は、全財産を捨てて神に身を捧げることを誓います。したがってキリスト教国や仏教国、イスラム教国の人々は、オウム真理教の起こした一連の凶悪犯罪には驚愕したとしても、入信の際に全財産を「お布施」させていたことは、不思議ともなんとも思わなかったはずです。それを「反社会的」と感じたのは、財産の寄進どころか肉食妻帯が当たり前という「破戒」仏教しか知らない日本人だけだったわけです。
では、キリスト教や仏教は、なぜ入信の際に、全財産を捨てさせるのでしょうか。
もうおわかりだと思いますが、それは、これまで築いてきたすべての財産を失うという大きな賭けをすることによって、宗教心をゆるぎないものにするためです。有り体に言ってしまえば、宗教心とは、失ったものの大きさに比例します。
財産のすべてを捨てて入信したとしたら、後になってからその判断を否定することは、並みの人間にはほとんど不可能です。それは、自分のこれまでの全人生を否定するに等しいからです。賭け金が釣り上がってしまったら、負けるとわかっていてもギャンブルから降りられないのと同じです。
このように考えてみると、現在に至ってもなぜ、オウム信者たちが教団を捨てられないかがわかります。人間にとって、自分の人生を全否定することほどつらいことはありません。それが取り返しのつかない失敗であったなら、なおさらです。そのつらさに耐えることを思えば、地下鉄にサリンを撒くことを選んだとしても、不思議はありません。
さて、ここまで洗脳セミナーやオウム真理教の話を書いてきたのはなぜかというと、要するに、戦後日本社会に生まれた「土地真理教」の信者も、実は彼らと大して変わらない、と言いたいわけです(などと書くと怒られるでしょうか)。
「土地真理教」の最大の教義は、「日本の地価は永遠に上がり続ける」というものでした。その理由が「日本は国土が狭くて人口が多い」という子どもじみたものであっても、これまで誰も不思議には思いませんでしたし、日本の地価総額がアメリカ全土を買収できるまで上がるという、非現実的というか、SF的な水準になっても、みんながそのことを当然と思っていたのですから、その異様さはオウム真理教に充分匹敵します。この「宗教」にはまったのが、一般大衆だけではなく、政治家や官僚、経済学者、企業経営者などの「エリート層」であったことも、よく似ています。
オウム真理教は入信の際に全財産をお布施させることによって教祖への「絶対帰依」を信者に叩き込みますが、「土地真理教」は、住宅ローンによってその信者に確固とした宗教心を植え付けます。年収の4〜5倍もの借金を背負った人には、全財産を教団に寄進した人と同様に、もはや自分の判断を否定することなどできるはずがないからです。簡単に言ってしまえば、これが戦後日本社会を支配した「土地真理教」の洗脳テクニックです。
このように考えてみると、なぜ「持ち家派」の人が「家を買ってよかった」と主張して譲らないかがわかります。その中からわずかであれ、「高値で購入して失敗だった」と自己の判断を否定する人が出てきたこと自体が、驚くべきことなのです。
これに対して「賃貸派」には、「持ち家派」ほどの確固とした「宗教心」はありませんから、ちょっとした誘惑で「持ち家派」に改宗してしまいます。
たいていの場合、「賃貸派」が家を買わないのは自身の合理的な生涯設計から導き出された結論ではなく、ただたんに、「頭金がない」「気に入った物件がない」「面 倒臭い」などの理由がほとんどですから、「持ち家派」の人たちの宗教心を前にしてはひとたまりもありません。
この国では、「持ち家派」と「賃貸派」が議論すれば、その熱烈な宗教心から、必ず「持ち家派」が勝つようになっています。しかし、だからといって「持ち家派」の理屈が正しいとは限らないのです。
『ゴミ投資家のための人生設計入門』より
1999年10月25日
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