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「貧乏はお金持ち」 まえがき 1/3

Akira Tachibana Archives

貧乏はお金持ち 講談社より2009年6月5日に発売される新刊
「貧乏はお金持ち」の「まえがき」と「あとがき」を全文公開します。(09/05/28)


まえがき:グローバル資本主義を生き延びるための思想と技術|123| 
あとがき:「自由」は、望んでもいないあなたのところにやってくる|123


まえがき:グローバル資本主義を生き延びるための思想と技術

この本のコンセプトは単純だ。

自由に生きることは素晴らしい。

派遣切りや新卒の内定取り消しが相次ぎ、街には失業者が溢れ、どこを見ても暗い話題しかないけれど、そんなニュースばかりじゃますます暗くなるだけだ。朝から晩まで「不景気だ!」と騒いでいたって景気はよくならない。

みんなが好きな仕事に就けて、毎年給料が上がっていって、会社は一生社員の面倒を見てくれて、退職すれば悠々自適の年金生活が待っていて、病気になれば国が下の世話までしてくれる──そんな理想郷を勝手に思い描いて、その夢が裏切られたと泣き喚くのはそろそろやめよう。そんな都合のいい話があるわけないって、幼稚園児だって知っている。

世界はもともと理不尽なものだ。みんなの都合のいいように神さまがつくってくれたわけじゃない。そんな“ディストピア”で、一人ひとりが前向きに生きていく道を探さなきゃいけない。生まれてきた意味って、そういうことじゃないのかい?

仕事を失ってホームレスになった若者たちが、毎日のようにテレビや新聞に取り上げられている。そんな彼らに向かって、「努力が足りない」とか説教するひとたちがいる。でもこれって、ちょっと“品格”がない。誰か教えてやってよ。面と向かってひとを批判できるのは、家族や友人や、会社の上司や工場の親方でもいいけど、その言葉に責任を持てる人間だけだってことを。

その一方で、自由な生き方を否定して恬として恥じない自称“リベラル”なひとたちがいる。

かつてこの国では、サラリーマンは「社畜」と呼ばれていた。自由を奪われ、主体性を失い、会社に人生を捧げた家畜すなわち奴隷の意味で、彼らの滅私奉公ぶりや退屈な日常を嘲り、見下すのがカッコいいとされていた。その頃は私も社畜の一人でこの蔑称を不快に思っていたけれど、悔しいことに彼らに言い返す言葉を持っていなかった。タイムカードを押すために満員電車に揺られる毎日は自由からはほど遠かったし、かといって会社を離れ、自分や家族が生きていくだけの資力を得る方途もなかったからだ。

ところがいまや同じリベラル派のひとたちが、「非正規社員を正社員にせよ」と大合唱している。正社員とはサラリーマンであり、すなわち社畜のことだろう。驚くべきことにこの国では、いつのまにか社畜=奴隷こそが理想の人生になってしまったのだ。

昭和四十年代のアニメ『妖怪人間ベム』では、異形の妖怪として生まれた主人公たちが「早く人間になりたい」と叫んでいた。メディアや知識人が若者たちを洗脳した結果、いまでは誰もが「いつか正社員になりたい」と口を揃えるようになった。まるで正社員になりさえすれば、恋人や家庭や安楽な老後など、すべての夢が叶うかのように。平成の日本は奇怪なカルト宗教に支配され、そこでは神殿に巨大な「社畜」像が祀られていて、善男善女がその前に額ずいていつの日か立派な社畜になれる日を願って祈り、叫び、デモをするのだ。

近頃は、誰も彼もが「この国には希望がない」と慨嘆する。だけど考えてみてほしい。人生の目標が社畜になることなら、希望なんてあるわけない。

「自由」の価値は、かつてないほどまで貶められてしまったのだ。

自分の人生を自分で選ぶ

誤解のないように言っておきたいのだけれど、私はこの本でサラリーマンという生き方を否定したいのではない。世の中に蔓延する「社畜礼賛」が薄気味悪いだけだ。

契約社員は企業だけが一方的に有利な雇用形態ではなく、労働者は好きなときに好きな仕事をする自由を確保でき、能力次第では正社員より高い報酬が支払われる。

労働市場の規制緩和によって、子どものいる女性など、フルタイムでは働けなかったひとたちが仕事につけるようになった。

需要が限られているのにすべての労働者を正社員にすることなどできるはずはない。そんなことを法律で強制すれば、企業は正社員を雇わなくなるか、自由に雇用調整できる外国に出ていくだろう。

どれもこれも当たり前のことばかりだけれど、こういう「不適当な発言」は公の場所では言ってはいけないことになっている。そのかわり、社員を窮屈な雇用契約で会社に縛りつけることが「正義」だとされている。そんなこと、誰も望んでいないのに。

いま必要なのは、自由に生きることの素晴らしさをみんなが思い出すことだ。「安定」を得る代償に「自由」を売り渡すのはもうやめよう。そんなことをしたって、会社がつぶれてしまえば結局なにもかもなくなってしまうのだから。

ここで言いたいのは、「サラリーマンを辞めて独立しよう」とか、そういうどうでもいいことじゃない。一人ひとりが、自由に生きるための戦略を持たなきゃいけないっていうことだ。

大企業に就職できたから安心? 磐石の財務基盤を誇ったトヨタ自動車は2兆円の利益が一瞬で吹き飛んでしまったし、「世界のソニー」は正社員を含む大規模な人員削減を発表した。

公務員だから安心? 赤字自治体では職員のリストラや賃下げが当たり前で、不況で天下り先がなくなることも間違いない。

年金があるから安心? 人類史上未曾有の少子高齢化に大不況が加わって年金財政が破綻するのは時間の問題で、健康保険や介護保険だっていまのままつづけられるわけがない。

この世界大不況が私たちに教えてくれたことがあるとすれば、それは、国や会社はなにもしてくれないということだ。アメリカ大統領にオバマが就任しても、日本の政権党が自民党から民主党に替わっても、魔法のように景気を回復させられるわけじゃない。グローバルな市場の中で、国家ができることはほんのわずかしか残されていない。それも、しょっちゅう失敗する。だったら、自分のことは自分でなんとかするしかない。 「自由」は空疎な理念やお題目ではなく、「人生を選択できる経済的な土台(インフラストラクチャー)」のことだ。自分と家族を養うだけの資力がなければ、結局誰か(国とか会社とか)に依存せざるをえない。なにものかに経済的に支配されている状態は、一般に「隷属」と呼ばれる。ひとはみんな、自分の人生を自分で選ぶべきだ。

そう考えれば、自由な人生にとっていちばん大事なのは自分の手でお金を稼ぐことだとわかる。でも、そのためにはいったいどうすればいいんだろう。

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