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「貧乏はお金持ち」 まえがき 2/3

Akira Tachibana Archives

貧乏はお金持ち 講談社より2009年6月5日に発売される新刊
「貧乏はお金持ち」の「まえがき」と「あとがき」を全文公開します。(09/05/28)


まえがき:グローバル資本主義を生き延びるための思想と技術|123| 
あとがき:「自由」は、望んでもいないあなたのところにやってくる|123


市場と資本主義

アメリカの金融機関がばたばたとつぶれて「グローバル資本主義の終わり」がいわれているけれど、好むと好まざるとにかかわらず、私たちは資本主義と市場経済の中で生きていかなくてはならない。人類はこれ以外の経済制度を持っていないし、これからも(すくなくとも生きているあいだは)ずっとそうだからだ。

市場経済というのは、「お金」という共通の尺度でモノとモノとを交換する仕組みのことだ。資本主義は、「もっと豊かになりたい」という人間の欲望によってお金を自己増殖させるシステムである。このふたつが合体した経済世界で私たちがお金を獲得する方法は、つまるところたったひとつしかない。

資本を市場に投資し、リスクを取ってリターンを得る。

これだけだ。

働く能力を経済学では「人的資本」という。若いときはみんな、自分の人的資本(労働力)を労働市場に投資して、給料というリターンを得ている。

人的資本は要するに「稼ぐちから」のことだから、知識や経験、技術、資格などによって一人ひとりちがう。大きな人的資本を持っているひとはたくさん稼げるし、人的資本を少ししか持っていないひとは貧しい暮らしで我慢しなくてはならない(これはあくまでも統計的な結果で、人的資本と収入が一対一で対応しているわけではない)。

働いて得た給料から食費や家賃などの生活経費を支払って、いくらかのお金が手元に残ったとしよう。そうすると、このお金を資本金にして、資本市場に投資してお金を増やすことができる。もっとも一般的な投資が「貯金」で、これは銀行にお金を貸して利息を得ることだ。貯金は元本の返済が約束されていて、おまけに日本国の保証までついているから、リスクが低いかわりにリターン(金利)も低い。

それで満足できないなら、「株式」に投資することもできる。こちらはずっと高い配当をもらうことができるけれど、元本が保証されているわけではないから、株価が大きく値下がりしたり、場合によっては紙くずになってしまうこともある。そのかわり大儲けする可能性もあるから、これはハイリスク・ハイリターンだ。

このように私たちは、人的資本を労働市場に投資したり、金融資本(手持ちのお金)を資本市場(金融市場や不動産市場)に投資したりして、生きていくための糧を得ている。若いときは人的資本で稼いで、年を取って働けなくなると金融資本と年金で生活する、というのが一般的なパターンだ。

人的資本理論では高い教育を得たひとほど人的資本が大きいとされるから、「高学歴=高収入」という法則が生まれ、高い学費を払ってMBA(経営学修士)などの資格を取得することが流行した。速読術や情報収集法、セルフマネジメントやコーチングや、そういったもろもろの自己啓発術も、人的資本を高めてより多くの収入を得ようという戦略だ。

ところでこの本では、こういう話はいっさい出てこない。書店に行けば玉石混交の自己啓発本が溢れていて、それに新たになにかを加えることなどとてもできそうにない。それともうひとつ、私自身が「自己啓発」という戦略にいまひとつ納得できないということもある(これについては別の機会に書いてみたいが、簡単にいうと、みんなが同じ目標を目指せば少数の勝者と大多数の敗者が生まれるのは避けられず、ほとんどのひとが敗者になってしまうのだ)。

そこでこの本では、お金と世の中の関係を徹底して考えてみたい。なぜそんなことをするのかって? 自分が生きている世界の詳細な地図を手に入れることができれば、自己啓発なんかしなくても、ほかのひとより有利な場所に立つことができるからだ。

人的資本を最大化せよ

資本主義社会で生きていくということは、所有している資本(人的資本や金融資本)を市場に投資して利益を得る(資本を増殖させる)ことだ。この経済活動を「企業Enterprise」という。町の八百屋からトヨタやソニーのような大会社まで、企業は市場参加者すべての総称だ。企業の主体が企業家で、通常は中小企業のオーナー社長などのことを指すが、人的資本を投資しているという意味では、自営業者だけでなくサラリーマンだって立派な企業家だ。

日本語だとこのあたりの区別が曖昧なのだが、企業活動のための効率的な仕組みとして考え出されたのが「会社Company」で、個人がばらばらに働くより大規模かつ高速にお金を増やす(資本を増殖させる)ことができる。会社は社会の中でとても大きな役割を果たしているから、法律上の人格(法人格)が与えられている。ここはちょっとややこしいのであとで詳しく説明するけれど、これが資本主義の根幹で、要するに私たちの生きている世界の骨格にあたるものだ。

サラリーマンをつづけるべきか、脱サラするべきかがよく問題になる。でもこれは、設問の仕方が間違っている。原理的にいうならば、私たちはみんな企業家で、意識しているかどうかにかかわらず、常に人的資本を最大化するような選択をしているのだ。

金融市場への投資(株式投資など)はその価値が金銭の多寡で一元的に計量されるけれど、人的資本の投資(働くこと)には金銭以外のさまざまな基準がある。「大損したけど素晴らしい投資」というのは定義矛盾だが、「一文にもならないけど楽しい仕事」というのはいくらでもあるだろう。人的資本を最大化するというのは、たんにより多くのお金を稼ぐことではなくて、そのひとにとっての満足度(充実度)をいちばん大きくすることだ(とはいえ、お金がなくては生きていけないから、これがもっとも大事な基準であることは間違いない)。

こうした選択の結果として、会社勤めをつづけて出世を目指すひとと、脱サラしてラーメン屋をはじめるひとが出てくる。人生をリセットすることはできないから、その選択がほんとうに正しかったかどうか検証することは不可能だけれど、どちらも人的資本をリスクに晒してより大きなリターンを得ようとしていることは同じだ。

とはいえ、サラリーマンとそれ以外の企業家にはひとつ決定的なちがいがある。それは、サラリーマンが企業活動(お金を稼ぐ経済活動)の主要部分を会社に委託(アウトソース)してしまっていることだ。これは具体的には、会計・税務・ファイナンスである。

会計は収支や資産を管理する仕組みで、税務は所得税や消費税などを国家に納税する経済行為だ。ファイナンスは資金の流れを把握し、資本市場から効果的に資金調達することをいう。これはどれも企業家にとっては生死を分かつほど重要なことだけれど、サラリーマンは源泉徴収と年末調整によって会社に税務申告を委託しているので、手取り収入の範囲で生活しているだけなら会計も税務も必要ない。住宅ローンはファイナンスの一種だが、家賃のかわりに決められた金額を払っているというひとが大半だろう。サラリーマンとは、企業家としてのコア(核心)を切り離すことで、自らの専門分野に特化したひとたちなのだ。

経営学では、会計・税務・投資・資金調達などは「会計ファイナンス」と括られる。だから、こうした知識をまとめて「フィナンシャルリテラシー」と呼ぶことにしよう。リテラシーというのは、「読み書きの能力」のことだ。

よく知られているように、脱サラの成功率はあまり高くない(一般に3割程度といわれている)。それにはいろいろな理由があるだろうが、そのひとつにフィナンシャルリテラシーの欠落があることは間違いない。純粋培養されたサラリーマンが、羅針盤も海図もなく徒手空拳で市場の荒波に乗り出していく。会社の財務状況を把握できず、余分な税金を払い、高い利息でお金を借りていれば、あっという間に難破してしまうのも当然だ。

AICと橘玲の本


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