得する生活

How to Live a Profitable Life


[戻る]|[目次]|[次へ]

 金持ちと貧乏には経済学的な理由がある 

 学問は時として残酷な事実を私たちに告げる。

「貧しい人は心が美しく、金持ちはずる賢い」

 これは世間一般の常識だが、残念ながら誤りである。各種の社会調査によれば、成功者ほど他人を信頼し、貧乏人ほど疑り深く、猜疑心が強いという傾向が顕著に現われている。同様に、高学歴者ほど他人への信頼度が高く、学歴が低くなるにつれて疑り深くなる。

 「人を見たら泥棒と思え」というのは、排他的なムラ社会においては正しい行動原理だ。閉じられた共同体の中で一生を終えるムラ社会では、異物を効率的に排除することで安定した生活空間を確保できる。しかし開放的な市場経済では、こうしたムラの掟は経済的な災厄を招く。

 猜疑心の強い人は仲間内の商売しかしないから、共同体の外部で経済的な関係を築くことができない。これではいつまでたってもビジネスチャンスを獲得できず、変化の激しい社会に適応するのは不可能だ。他人に騙されないようにするためのコストが大きすぎるのだ。

 高い知性の持ち主は、もっと効率的な戦略を考える。彼らは一定の条件を設定し、それをクリアした人をとりあえず信頼する。

 もちろん、なかには詐欺師や嘘つきもいるだろう。相手が信頼に値しないとわかったら、その時点で付合いを止めればいい。騙されることによる損失は避けられないが、それを補って余りある人間関係とビジネスチャンスを手に入れることができる。騙されることは、成功に必要なコストの一部なのだ。

  ベッカー教授のノーベル経済学賞受賞は「人的資本(ヒューマン・キャピタル)」論の功績による。教授によれば、教育の効能は人的資本の蓄積として説明できる。人が教育によって知識や技術を獲得すれば、それが労働生産性を高め、将来賃金を上昇させる。ファストフードの店員よりも医師や法律家、コンピュータプログラマの給与が高いのは、彼らが強欲でずる賢いからでも、たまたま運がいいだけでもなく、より大きな人的資本を持っているからである。

 米軍の研究所で働いていたロケットサイエンティストが軍備削減のためリストラされた時、彼らはシリコンバレーに職を求めて大金を手にした。石油の時代を迎えて炭鉱労働者の多くが職を失ったが、彼らのほとんどは経済的成功とは無縁だった。ロケットサイエンティストには人的資本があり、炭鉱労働者にはそれがなかった。

 アフリカが貧しいのは先進国が搾取しているからでなく、国民の人的資本が貧弱だからである(もちろんこれには歴史的経緯がある)。インドがいつまでも経済的に離陸できないのは、差別的な身分制度によって国民の3割を超える膨大な労働資源が読み書きの出来ない状態に放置されているからだ。人的資本の蓄積のない高校中退者の失業率は、高卒や大卒の労働者の十数倍に達する。ホームレスの大半は薬物依存や身体障害、精神病によって人的資本のほぼすべてを失っている。

 ベッカー教授によれば、人的資本は教育や技能、知識のほかに健康をも含み、近代経済国家の富の75%を占める。アメリカでは大学教育の投資効果が綿密に計測されている。高卒で社会に出た場合と大卒資格者の生涯年収の差を教育費用と比較した場合、その投資効果は年率で10%を超えるとされている。アメリカの大学生が借金してでも高等教育を受けるのは、それが充分ペイする取引だからである。日本でも同様の調査が行なわれ、大学教育は年利6〜9%の投資効果が期待できるとの結果が出ている。これは、現在の低金利を考えれば圧倒的に有利な投資先だ。

 「お金持ち」を経済学の用語で定義すると、「労働生産性の高い市場参加者」となる。労働生産性は、人的資本の総体量で決まる。

 人は教育を受けなくても成功することができる。マイケル・ジョーダンはバスケットボールで、デイビッド・ベッカムはサッカーで圧倒的な人的資本を持っている。経済的な成功は学歴のみで決まるわけではない。だが効率的な労働市場において、教育・技能・知識などの人的資本を持たない個人が平均より高い報酬を得ることは困難である。

  経済学には、人的資本のほかに「関係資本(ソーシャル・キャピタル)」という概念がある。よい関係資本を持つ人は、より多くの収益機会を獲得できる。関係資本はビジネス上の人的ネットワークであり、富を生む源泉である。ビジネスであれ、恋愛であれ、よい人間関係は信頼によって育まれる。他者の信頼を得るには、約束を守らなければならない。

 市場経済においては、一般的に、信用は失うものの多寡によって計測される。社会的に成功し、大きな資産を築き、ビジネスパートナーに恵まれた人は、他人を騙すことで得る幾ばくかの金よりも失うものがはるかに大きいから、自己の評判を維持するために積極的に約束を守ろうとする。

 その一方で、失うもののない人物は簡単に約束を反故にする。他人を裏切って手にする富の方が魅力的だからだ。社会正義や清貧を語る人物がわずかの金で掌を返したように人格を変容させるのはべつに珍しいことではない。20代ならともかく、40歳を過ぎて金も地位も家族もなければ、社会的な信用を得るのは難しい。

 人的資本の蓄積は経済的な成功をもたらし、成功者はお互いを信頼し合うことで関係資本を築き、より多くの収益機会を手に入れていく。信頼を失った者は誰からも相手にされず、人的資本も関係資本もやせ細り、ますます貧乏になっていく。

 これが、私たちの社会の身も蓋もない現実である。


[戻る]|[Home]|[目次]|[次へ]