「黄金の羽根」を手に入れる自由と奴隷の人生設計
文庫版あとがき 海外投資を楽しむ会
アメリカのIT景気が絶頂期を迎えつつある1998年に、私たち日本人はマイクロソフトにもインテルに投資することはできませんでした。アメリカにマイクロソフトという超高成長企業があると知って、某大手証券の支店窓口に相談に行ったら、「ウチではそんなヘンな株は扱っていません」と追い返された人もいます。
そんなときに、アメリカ国内のインターネット証券に日本から口座を開設すれば、ニューヨーク市場やナスダックの株式を自由に売買できるという情報がネット掲示板に掲載されました。それを実践した先進的な個人投資家たちは競ってIT銘柄に投資し、わずか2年の間に目も眩むようなパフォーマンスを実現したのです(その後のバブル崩壊で損をした人も多いのですが)。
いまでもこの時期を懐かしむ人が多いのは、それがネット社会の自由を象徴しているからでしょう。このときはじめて、大手金融機関に所属していたり、特別な資格やコネを持っていなくても、知識さ えあれば、誰でも素晴らしい投資機会にアクセスできる時代が訪れたのです。
私たちはこれまで、日本の旧態依然とした金融システムに囚われることなく、海外の金融機関を活用して効率的に資産を運用する方法を紹介してきました。日本と海外との法律や制度の違いを利用すれば、国内では販売されていない株式やファンドなどに投資したり、税金や各種手数料などの資産運用コストを合法的に引き下げることが可能だからです。
制度の歪みが存在すれば、そこに収益機会が生まれます。本書のアイデアは、これまで海外投資の世界で探求してきたローリスク・ハイリターンの超過利潤の存在を、国内の社会制度に当てはめてみることでした。
小泉政権誕生以来、“規制撤廃”“特殊法人改革”を説く人たちがこの国に跋扈しています。たしかに、老朽化した「日本型会社主義」をグローバル競争に適応させるためには、戦後日本に深く根づいたさまざまな既得権の構造を大胆に変革していくことが必要でしょう。しかし、そんなことは誰だってわかっていることですから、正義の旗を振りかざす人たちに今さらしたり顔で説教されても困ります。
私たちの社会を観察してつくづく思ったことですが、日本ほど“弱者”にやさしい国はありません。だとすれば、この国に生まれた幸運を120%満喫するためには、自らが“弱者”になるのがいちばんです。
誤解のないように言っておくと、ここで言うのは日本国が規定する“弱者グループ”に所属する人のことであって、病気で働けなかったり、身体に障害のあるような本来的な意味での「弱者」ではありません。では、日本国はどういう人たちを“弱者”とみなしているのでしょうか?
それは、たとえば農業や建設業の従事者であり、中小零細企業の事業主であり、地域の商店主であり、失業者であり、老人であり、家を賃貸して暮らす人たちです。本書でもその一部を紹介しましたが、こうした政治力のある“弱者”に日本国は実に手厚い保護を与えているため、そこに強大な既得権が形成されています。官僚の天下りや特殊法人のずさんな経理が話題になりますが、日本社会を深く蝕む利権構造の中でもっともおいしい思いをしているのは、実は、こうしたごくふつうの“弱者”たちなのです。
今でもロシア国民の大部分は「働かなくても生活できたソ連時代に戻りたい」と思っているとのことですが、「世界でもっとも成功した社会主義国」である日本では、ベルリンの壁が崩壊してもいまだにその理想社会が健在です。そのうえ空前の大不況に突入してからは、こうした“弱者”保護の制度はさらに拡大・充実していますから、お国から補助金を注ぎ込まれる既得権層は、ますますこの世の栄華をほしいままにしています。
そう考えれば、いま必要なのは、「規制撤廃」「特殊法人の整理・統合」などの虚しい掛け声よりも、国民のすべてが“弱者”となって社会主義国・日本に生まれた幸福を享受できるようにすることでしょう。
税金にたかる“弱者”ばかりになってしまえば、現在の所得再配分システムは機能しなくなり、既得権は失われてしまいます。実際、公共事業投資などにおいては、口を開けてエサを欲しがる人ばかり増えて、いくら太っ腹な日本国でもみんなを満足させることができなくなってきています。
国民に広く既得権を解放すればいずれは分配システムが破綻し、より平等で効率的な社会が生まれるでしょう。社会は一部の政治家や官僚によって設計されるものではなく、自分と家族の幸福を願う“利己的”な個人の創意工夫によって、アダム・スミスのいう「神の手」の力を借りて、進化していくべきものだからです。
2004年7月 海外投資を楽しむ会