得する生活

How to Live a Profitable Life


[INDEX]|[目次]

 世界は不思議に満ちている。

 ビジネスクラスでハワイに飛び、プライベートビーチのあるリゾートホテルで1週間を過ごす。

 その旅行費用が3万円なら、あなたは少しだけ幸福になれるだろうか?

 これは、そんなささやかな驚きについての本である。

貨幣経済という奇妙な宗教の国に生まれて 

 神様と貨幣はよく似ている。

 貨幣が価値を持つのは、誰もがそれを貨幣と信じて疑わないからだ。

 1万円札に価値があるのは、特殊な紙やインキが使われているからではない。私たちが、福沢諭吉の似顔絵が描かれた紙切れに1万円の価値があるとする奇妙な宗教を信じているからだ。

 ただの紙切れに価値があるというのは一種の法螺話だ。どうせデタラメなのだから、貨幣は実は、石ころでも貝殻でも構わない。現在では、銀行の預金通帳に打ち出された電子データが貨幣だと信じられている。大事なのは貨幣の材質ではなく、実体のないものに価値を認める信仰心だ。貨幣経済とは、貨幣を神様と崇める宗教である。

 神の姿をこの目で見ることができないのと同様に、貨幣の実在を客観的に証明することもできない。

 理屈の上では、1万円札は日本国の資産を担保に発行されている。かつて、貨幣の担保として中央銀行は金を保有していたが、現在の担保は日本国債である。国債というのは国家の借用証書で、それを持っていくと貨幣と交換してくれる。貨幣は国債によって担保され、国債は貨幣で担保されている。これは新興宗教の教祖が、「私が神であることは神である私が知っている」と述べるのと同じ理屈である。なんの根拠もないが、信じるのはその人の勝手だ。

 貨幣を神とするならば、貨幣経済は唯一の世界宗教だ。地球上には国ごとに異なる“神”がいるが、その神々は一定のレートで交換可能である。キリスト教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も、貨幣を神と崇める世界宗教から自由になることはできない。私たちがこの世で生きていくためには、好むと好まざるとにかかわらず、この奇妙な宗教の信者になるほかない。

 日本人が日本国を信用しなくなると、日本円という貨幣の価値が低下する。日本の“神”を、海外のもっと魅力的な“神”と交換したいと考えるからだ。国民が「紙切れはしょせん紙切れに過ぎない」と気づいた時に、貨幣制度は崩壊する。幻想が剥がれてしまえば、1万円札もただのゴミと変わらない。

 貨幣制度は共同幻想によって支えられている。貨幣にとらわれるのは、夢や幻にとらわれるのと同じだ。ヒトが一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく自然を前にして、貨幣の多寡に何ほどの意味もない。

 だがその一方で、私たちの人生が夢や幻によってつくられていることも否定できない。なぜなら人間は、幻想から現実を創造する生き物だからだ。神権によって成立した社会では、人の運命は気まぐれな神託に翻弄される。貨幣経済のもとでは、貨幣という幻想を拒絶して生きていくことはできない。 

 カール・マルクスは「人間は社会的存在である」と言った。マルティン・ハイデガーは「実存は世界内存在である」と述べた。どちらも言っていることは同じだ。 
社会や世界は幻想でしかないが、私たちはそこでしか生きられない。


[Home]|[INDEX]|[目次]