得する生活

How to Live a Profitable Life


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福祉社会は差別社会である

  資本主義は、与えられた条件の中で工夫と努力を積み重ね、より多くの貨幣を獲得するゲームだ。ゲームである以上、勝者もいれば敗者もいる。 ところが困ったことに、世の中にはこのゲームが気に入らない人がたくさんいる。この人たちは、「人間は平等なはずなのに金持ちと貧乏人がいるのは差別である」と批判する。資本主義のルールは正義に反しているのだから、国家はその歪みを正し、貧しい人や、病気で苦しんでいる人や、不幸な人を一人残らず救う崇高な義務を負っていると言う。

 この主張は一見、文句のつけようがない。誰だって、不幸な人を助けたいと思う。一人の大金持ちと九十九人の貧乏人がいる社会よりも、みんなが少しだけ小金持ちの平等な社会の方が住みやすいに違いない。

 しかし、話はそう簡単ではない。

 働かなければ人は貧乏になる。貧乏になると、国が生活費を支給してくれる。そうなると、働かずに国の金で暮らした方が人生は楽しい、という合理的な結論が導かれる。

 国家が貧しい人たちの生活を支援すると、働かずに国家に寄生して生きていこうとする人が増える。このようにして、崇高な精神から悪徳が生まれる。

 ソビエト連邦が崩壊し、資本主義ロシアが誕生した時に、国民の多くは実はスターリンの時代に戻ることを望んでいたという奇妙な事実がある。なぜロシアの人々は、秘密警察(KGB)と収容所(ラーゲリ)のスターリン時代を愛したのだろうか?

 それは、働かなくても暮らしていけたからだ。

 人類の歴史は、平等な社会が独裁国家の恐怖政治を生み出すことを教えている。完全な平等を実現するためには、大規模な国家の介入が不可欠だからだ。

 国民一人ひとりの内面まで管理するには、強大な国家権力が必要である。スターリンも、金日成も、ポルポトも、平等な社会を目指す社会運動の中から生まれ、異分子を効率的に排除する多くの残酷な技術を発明した。平等の理念を追い求めたからこそ、虐殺や収容所の悲劇が生まれた。

 人類の理想である「平等な社会」は、「地獄」の別名なのだ。

  自由な競争は経済的な勝者と敗者を生み出し、平等を阻害する。平等な社会は、自由を抑圧することでしか実現しない。これが、自由と平等のパラドクスだ。政治の課題とは、両者のバランスをとることだとされる。そこそこ自由で、それなりに平等な社会を私たちは望んでいる。その理想の姿が市場経済の下での福祉社会だ。

 しかし、年金制度や医療保険制度の完備した福祉国家は、ほんとうに平等な社会なのだろうか?

 福祉国家は、ほぼ例外なく、移民を制限する差別社会となる。高度な福祉を達成した国が無制限に移民の流入を認めると、制度が破綻してしまうからだ。既得権を守るためには国を閉ざし、パイの分け前に与る人数を制限しなければならない。EU諸国の厳しい移民政策を見ればそのことがよくわかる。結果として、貧しい国の国民はいつまでも貧しいままだ。

 アメリカの社会保障の劣悪さは有名だが、それが自由の代償であることはあまり知られていない。社会保障のコストが低い社会だけが、海外から大量の移民を受け入れることができる。その結果、貧しい国の人々にも豊かな国で働く機会が平等に与えられる。

 私たちは、アメリカよりも日本の方が平等な社会だと考えている。だが、真に平等なのはどちらだろう?

 福祉国家は往々にして、「地獄」へと続く一里塚になる。 


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