The Traveling Millionaire


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はじめに 金融2・0という革命 

 ドストエフスキーは歴史の巨大な渦に巻き込まれた帝政ロシア末期の混沌を描き、来るべき革命を予言したが、彼の小説に描かれたのは老婆を殺した貧しい青年や、真実の愛を求めてさまよう白痴の公爵であった。彼ら市井の人々が引き起こす瑣末な事件が変貌する時代精神を象徴し、作家はそこに母なるロシアの死と再生の願いを込めたのだ。

 2005年12月、東証マザーズに新規上場したジェイコム株の誤発注で27歳無職の男性が20億円を超える利益を手にしたことが明らかになった。後に“BNF”と名乗るようになるこの男性は、大学在学中にアルバイトで貯めた160万円を元手に株投資を始め、わずか5年でそれを150億円まで増やしたという。

 2006年、ベトナム投資が突然のブームとなり、現地の証券会社に口座開設するツアーに申込者が殺到した。その結果、ベトナムの証券口座の約半分を日本の個人投資家が占めるようになった。

 2007年4月、東京都に住む59歳の主婦が為替FX取引で3年間に4億円を超える利益を得、約1億4000万円を脱税していたことが発覚した。同年7月には、兵庫県の市役所に勤めていた33歳の女性が両親とともに為替FX取引で7億円超の利益をあげ、約2億5000万円を脱税したと報じられた。

 マスメディアはこれらを「マネーゲーム」「錬金術」と囃し立てたが、一連の出来事の深層にある歴史的変化を指摘したものは皆無であった。

 インターネットの世界にグーグルが登場したとき、ほとんどのひとはそれを新しい検索サイトとしか思わなかった。ウィキペディアはたんなる便利な辞書で、ブログは日記をネットに公開するソフトでしかなかった。まったく異なる3つの出来事がウェブの世界で起きている新たな潮流を象徴し、それが歴史を動かすとてつもない力を持っていることは、「Web2・0」というキーワードによって括られるまで私たちの目には見えなかったのだ。

 本書でこれから述べるように、金融の世界でもWeb2・0と同じことが起きている。仮にそれを「金融2・0」と名づけるならば、フリーターがクリックひとつで莫大な富を得たり、市井の主婦やOLが何億円もの脱税で告発される奇妙な事件は、金融2・0という“革命”のささやかな余波でしかない。

 Web2・0と金融2・0は、実は同じコインの裏表である。貨幣とはモノにヴァーチャルな価値、すなわち情報が憑依したものであり、金融業は古来よりもっとも純粋な情報産業だった。

 金融は言語・法律・国境などのあらゆる制度的障壁から自由な本質的にグローバルな存在である。そしていま、情報技術の急速な進歩と大衆化が、これまで巨大金融機関や機関投資家に独占されていた情報操作技術をすべての投資家に開放した。こうして、ごくふつうの主婦がヘッジファンドと同様の取引を行ない、何億円も儲けたり大損したりするSF的な光景が現出したのである。

 この巨大な変化は、グーグルの主導する“知識革命”に匹敵する地殻変動を誘発し、世界のかたちを変えていくだろう。だがそのことに気づいているひとは、とても少ない。


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