The Traveling Millionaire


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第5章 タックスへイヴンの神話と現実

 ラブアン島はコタ・キナバルの南西100キロほどのところにある小さな島で、“アジアでもっとも豊かな王国”ブルネイまでフェリーで1時間の距離だ。あまり知られていないが、このラブアン島はマレーシアのオフショア金融センターで、れっきとしたタックスヘイヴンである。もっとも金融よりもダイビングが有名で、沖合の沈没船に集うバラクーダの魚群は圧巻だ。

 島の中心はフェリーポートのあるバンダル・ラブアンで、港に面して2棟のホテルが並んでいる。風情は南国ののどかな田舎町で、日差しが容赦なく照りつける昼間は人影も少なく、噴水のあるロータリーの一角に銀行と土産物店が集まっているのが目立つ程度だ。

 隣国ブルネイは厳しいイスラム国で飲酒は厳禁だが、特例として、外国人が自宅やホテルの部屋で飲むことは認められている。ラブアンの免税品店にはウイスキーやビール、煙草のカートンが並んでいて、外国人駐在員が買出しにやって来る。

 この街で唯一の高層ビルがIOFC(International Offshore Financial Centre)で、マレーシアはもとよりアジア・太平洋地区の主要な金融機関が入居している。ロビーフロアのプレートには日本の銀行の名前も多い。
ビルの下層階はショッピングモールになっていて、本来であれば高級ブランドが並ぶはずだったのだろうが、なぜか地元向けのスーパーマーケットや雑貨店、ファストフード店が軒を連ねている。インターネットカフェは、オンラインRPGゲームに熱中する近所の小中学生の溜まり場だ。

 ローカル色あふれるこのビルの高層階は、パーテーションで細かく区切られたオフィス棟になっている。といっても、金融機関の素っ気ない案内板が廊下に張り出してあるだけで、顧客用の窓口があるわけではなく、外資系大手でも従業員数は十人程度だ。

  IOFCには法人の設立・管理を代行するエージェントが多数入居していて、東南アジアでビジネスを行なう企業のためにペーパーカンパニーをつくっている。そうやって集めた資金を、同じビル内の銀行が管理する。なぜこんなことをするかというと、マレーシアとの租税条約が利用できるからだ。

 ある国が二重課税を防止する条約をマレーシアと結び、相手国で得た利益は互いに課税しないとする。ラブアンはマレーシア国内のタックスヘイヴンなので、法人所得はやはり非課税である。その結果、ラブアンのペーパーカンパニーは合法的にどこの国にも法人税を納めずに済む。IOFCに入居する多数の金融機関は、ひたすらこの租税回避業務を行なっているのである。

*日本はマレーシアと租税条約を締結しているが、ラブアンは対象外なので、このスキームは使えない。

 IOFC内の銀行は法人業務が中心で、原則として個人口座は扱わない。HSBCやスタンダード・チャータードなどの外資系大手は市中にも支店を持っているが、両者はまったく別の銀行である。

 マレーシアは東南アジア諸国のなかでも規制が厳しく、滞在ビザを持たない外国人は銀行口座を開設できない(証券口座は可能)。唯一の例外はラブアン島内の支店で、それも外国人が開設できるのは米ドル口座だけだ。私は例によってその支店を訪れたはじめての日本人で、上を下への大騒ぎの挙句、2時間かけてようやく口座開設申請書を提出するところまで漕ぎ着けた。上司が外国人の扱いを本店に照会するあいだ、窓口の女性はプリンセス・マサコと第一子の生誕にについて私を質問攻めにした。ブルネイもそうだが、ここのひとたちは皇室や王族の話題が大好きなのだ。

  タックスヘイヴンがどういうところか知りたければ、いちどラブアンを訪ねてみるといい。常夏の地にけだるい時間が流れ、ストレスはないが刺激はもっとなく、娯楽はといえば街に数軒あるカラオケスナックだけだ。太平洋戦争の慰霊碑と沈没船が観光の目玉で、1週間のバカンスには最適だが暮らすにはちょっと退屈だろう。そんなひなびた島に世界じゅうの金融機関が集まってくるのだから、「税金がない」という政策の効果には驚くべきものがある。

  そんなラブアンの“金融業界”は、生き馬の目を抜くウォール街とはだいぶ違う。プリンセス・マサコを通じて親しくなった担当者とは日本に戻ってからも文通のような書類のやりとりがつづき、実際に口座が開設できたのは2ヶ月後のことであった。

*投資口座を開設してファンドを買うまでにさらに1ヶ月かかった。


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