Finding the Golden Feather of Wealth

How to Plan Intelligent Life


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Introduction

人生は一度しかない。だから近道を行こう!

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 最初に、「知識社会」について書きます。

 20世紀を席巻した「産業社会」はやがて終焉を迎え、21世紀は「知識社会」の時代になると言われています。これを、「情報化社会」と言い換えても同じです。

 知識社会とは、文字どおり「知識」が特権的な価値を持つ社会ですが、その具体的なイメージはいまひとつ明らかになっていません。しかし、私たちの身近にその格好の例があります。

 2002年FIFAワールドカップの1ヶ月に及ぶ戦いも、ブラジルの5度目の優勝で幕を閉じました。

 日韓共催の今回のワールドカップは、最初からチケット問題で揺れました。とくに日本国内で人気は沸騰し、1枚7000円のチケットがネットオークションでは20万円以上で売られていました。このチケットを手に入れるために、スポンサーの商品を買い漁って抽選の権利をもらい、山のような葉書を送り、ひたすら電話をかけ続けた人も多いと聞きます。

 しかしその一方で、競技場には、ほぼ全試合のチケットを手にし、全国の会場を転々としながら家族で観戦を楽しんでいる人もいました。

 なぜこの人たちは、簡単にチケットを入手できたのでしょうか?

 その理由は簡単です。

 ワールドカップ開幕後の空席問題で明らかになったように、海外販売分のチケットは実際には大量に売れ残っていました。FIFA(国際サッカー協会)が需要を見誤り、スポンサー分や海外販売分を大目に確保してしまったにもかかわらず、だぶついたチケットを日本国内で販売するルートがなかったためです。日本のマスメディアは大量の空席を目にしてはじめて騒ぎ出しましたが、海外での販売不振はずいぶん前から広く知られていました。

 いかにサッカー狂のフーリガンと言えども、ヨーロッパや中南米からわざわざ極東の島国まで大金をはたいてやってくることのできる人間の数は限られています。イギリスやドイツのフーリガンは低所得者層や無職の白人がほとんどで、彼らはもともと日本まで来る金を持っていません。競技場に集まったのは、実際は、ほとんどがサッカー好きの旅行者です。参加チームの中には、日本までの旅費が年収に匹敵するような国がいくらでもあるのです。

 売れ残った海外分のチケットを購入する方法は、いたって簡単でした。

 インターネットでFIFAのチケット販売サイトにアクセスし、見たい試合を選んでオーダーを出すだけです。購入が難しかったのは日本戦・韓国戦のホームゲームと、人気のあるイングランド戦くらいで、そのほかの試合は開幕直前でも簡単に入手することができました。自分の応援するチームを決勝まで追いかけていけるチケットや、近くにあるいくつかの会場の全試合が見られるチケットも用意されていました。

 ただし、海外販売分のチケットを入手するには、ひとつだけ条件がありました。日本の居住者は国内試合のチケットを購入できない仕組みになっていたのです。そこで仕方なく、数少ない国内販売分に殺到することになったわけです。

 しかし、考えてみてください。

 あなたが求めるチケットは、目の前に山積みになっているのです。それは、日本の居住者でなければ、簡単に手に入れることができます。

 チケット1枚売るのに、わざわざ住所証明書類を提出させたり、パスポートで本人確認するわけにはいきません。日本の居住者であるか否かは、チケットの届け先で判断するほかありません。

 だったら、海外に住む知合いに頼んで代わりに購入してもらえばいいだけです。

 そうした抜け道を防ぐために、チケットに購入者名を印字し、会場への入場の際に本人確認を行なうとされていましたが、そんな対策が非現実的だということは最初からわかりきっていました。案の定、チケットの印刷は大幅に遅れ、入場時の本人確認はあっけなく放棄されました。

 どうしても自分名義のチケットが欲しければ、しばらくの間、郵便ポストに名前を載せておいてもらえばいいだけです。チケットを運んでくる郵便局員は、そこに本人が住んでいるかどうかなど確認しませんから、それで何の問題もありません。

 代理購入を頼める知合いがいないのなら、お金を払って業者に依頼することもできます。本人名義の住所を提供してくれる業者を「メイルドロップ・サービスMail Drop Service」と言いますが、インターネットで検索すれば、どこの国でも簡単に見つかります。200ドル程度の報酬を提示して交渉すれば、ふたつ返事で引き受けてくれるでしょう。

 一方には、必死に努力しても1枚のチケットすら手に入れられなかった大多数の日本人サッカーファンがいます。

 もう一方には、何の努力もせずに好きなだけチケットを購入し、優雅な観戦ツアーを楽しんだ人たちがいました。手にいれたチケットをネットオークションで売却し、観戦のための旅費やホテル代まで賄った人もいます。

 あなたは、この現実を不公平だと感じるでしょうか?

 ここで指摘しておきたいのは、必要な情報は万人に公開されていたということです。ごく一部の特権階級がおいしい思いをしている、という話ではありません。

 インターネットでFIFAのチケット販売サイトにアクセスすれば、海外販売分のチケットの購入方法は誰でもわかります。チケットが大量に売れ残っていることは、イギリスのメディアではずいぶん前から話題になっていましたし、日本でも何度か報道されました。あとは、目の前にある宝の山にアクセスする、ちょっとした工夫をすればいいだけです。チケットの流通システムを理解すれば、誰でもできることです。

「知識社会」あるいは「情報化社会」では、情報は瞬時に共有されていきます。だが、万人がそれを活用できるわけではありません。

 かつては、情報を一部の特権層に制限することが、権力の重要な機能とされていました。世界を見渡せば、いまだにそのような国の方が多いという現実もあります。日本社会の中でも、法曹や医療をはじめとして、閉鎖的な業界はいたるところに残っています。しかし、「IT革命」を喧伝するまでもなく、こうした情報の特権性・優位性は、インターネットの普及と情報技術の急速な進歩によって、いずれは意味を失っていくでしょう。

 しかし、だからといって、誰もが幸福になれる薔薇色の世界が待っているわけではありません。

「知識社会」では、必要な情報を的確に入手し、それを活用する知識を有している人は、いくらでも近道ができます。そうでなければ、ひたすら回り道をするほかありません。「知識」が価値を持つとは、そういうことです。

 オープンな社会では情報は万人に共有されているのですから、これは「公平な競争」の結果に過ぎません。チーズと同様に、チケットを手に入れられないのは、自分自身の責任なのです。

 情報が広く公開されればされるほど、いたるところに近道ができます。しかし、それをわざわざ教えてくれる親切な人がいるわけではありません。

 知識もなく、回り道もしたくなければ、金を払わなくてはなりません。それが、私たちの生きている資本主義・市場経済のルールです。

 21世紀に到来する「知識社会」においては、知識を獲得するのか、金を払うのか、それとも回り道をするのか、その選択を迫られることになります。

 あなたは、どれを選ぶのでしょうか?

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